ピアノ教師の役割って何だろう?
時折考えることがあります。
もうずいぶん前のことですが、ある年長者の方から「ピアノの先生はピアノだけ教えていればいいのでは?」と言われたことがありました。
私がピアノ教師としてまだ駆け出しだった頃、ピアノの指導についても試行錯誤で、ただひたすら情熱で教えていた頃です。
新しく生徒さんが入門されると、時折、とても気になることがありました。
それは、
玄関先で無造作に脱ぎすてられた靴
相手を見ないごあいさつ
遅刻して来る、または約束の時間より20分も早く来る ><
私の言ったことに返事をしない
・・・・・・
どれも、ピアノを弾くこととは直接関係のない問題ばかり。
でも私は、人間としての生活の基本的なことは生徒さんに教えよう、と考えました。そして、そういったことが、きちんと出来るようになってくると、なぜかピアノも上手になってくるな、と思っていました。
それなのに、です。しつけは家庭教育の役割で、ピアノの先生がすることではない、と指摘されたのです。
しかし、挨拶も出来ない子どもたちに、ピアノだけ教える、というのはうまくいかないと思いました。きちんとした学ぶ態度を身につけてもらわなければ、レッスンも空回りです。
私の教室に入会される子供の生徒さんのほとんどは、趣味で習いに来ます。習う目的・動機は、情操教育のため・学校の音楽の授業についていけるように・好きなようですので・弾きたがるから・・などです。親御さんの声は「楽しく教えてください」「ゆっくりマイペースでいいんです」「すぐに飽きちゃうかもしれませんが」「うちの子は学校の勉強がだめなので」etc・・とのこと。
それはそれで良いのですが、音楽を学ぶ意味は、もっと深いのです。そのことを理解して頂くには、少し時間がかかるかも知れませんが、音楽教育は人間教育であり、心の教育なのです。
楽しいだけでは芸事は身に付きません。努力なしには手に入らないものがある、ということを学んでほしいのです。ゆっくりと生徒さんのペースで、と放っておけば、やがて飽きてしまうでしょう。常に前に進んでいくという喜びを感じてほしいと思います。
努力することの尊さや、美しいものを美しいと感じる心を養い、人間として豊かに成長してほしい、ピアノ教育はそんな役割も担っていると思っています。
そして、最も大切にしたいのは、「普通のことが、普通にできる」ように。それが出来なければ、いくらピアノが上手くなっても、人間としてのバランスに欠けてしまいます。
最近は共働きのご家庭も増えて、しつけ、といっても昔ほど厳格になさる親御さんは少なくなりました。しかし、子どもたちに最低限身につけてほしいことはあります。
マナーって、形ではなく心なんです。相手の気持ちを思う心が、立ち居振る舞いとして現れるのです。
私は「街のピアノの先生」として、やはり子どもたちの「しつけ」にも関わっていきたいと思います。「子供は社会全体で育てなければ」という思いがあります。
ピアノ教師というのは、かなり長い期間一人一人の生徒さんと関わります。それだけに影響力は大きく、責任は重いと感じます。ピアノの技術を教えるだけではなく、生徒さんと心が響き合うようなレッスンを目指したいと思っています。
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さて、ここで問題です!
ある日、レッスン時間に10分も遅れてきた生徒さんがいました。
何の連絡もなしに・・・
その時私は生徒さんに開口一番、何と言ったでしょう?三択です!
A:ダメでしょ!遅刻ですよ!!
B:どうして遅れてきたの?先生、心配したわよ。
C:遅刻するときは、連絡しなさい!
心を大切に、と言っている私が実践していること・・・
もう、おわかりですね。