いつになく攻撃的な(笑)題名で失礼します。
私の心の中には「反面教師」という「ピアノの先生」がずーっと存在し続けている。
これまで何人かの先生に師事したが、(ワンレッスンを含めると7人)その中で、私のピアノレッスンライフに、暗く重くのしかかった教師がいた。
小学校卒業間近の頃に、それまで師事していた先生から、突然違う先生に習わなければならなくなった。事情はよくわからなかったが、後に母に聞いた話では、それまで師事していた先生の上の先生で、上級者以上を専門に教える先生だったという。
実は私はこの先生のもとを短期間で去ることになる。「手が小さくて、どうにもならない。」という、先生の一言に、多感な≪少女≫は「切れて」しまったのだった!その上、先生がピアノを弾いたのを、いや、触れることすら見たことがなかった。切れる前から不信感は募っていた。このまま、この人のレッスンを受けていたら、大好きなピアノが大嫌いになってしまうかも知れない!
子供心にそう感じていた。
その後、違う先生にレッスンを受けることになった。自分から、またやりたい、と母に告げた。もともとピアノレッスンを始めたのは自分の意志だったからか、母はやめるのも再開するのも私の意志に任せてくれた。しかし、今思うと「親の心子知らず」である。始める時に買ってくれたピアノは、親からしてみれば大きな投資だったに違いない。
レッスンをやめてしまったことに対して「あなたは辛抱が足りない。」と言われてしまえば、弁解の余地はないのだ。
その後出会う先生には恵まれて、私はピアノをずっと続けることができている。
でも、ふと思う時がある。もしも、あの先生に出会うことがなかったら、もしかして「ピアノの先生になろう。」という気持ちは生涯持たなかったのではないか?と。
「ピアノを止めてしまったことで失った時間は、ピアノで取り戻すしかないんだ。」
そう思った。
「あの先生のようにはなりたくない!」
「生徒の前でピアノが弾けない先生にはなりたくない!」
「欠点ばかり指摘して、怒る先生にはなりたくない!」
「間違えると手を挙げる!練習の仕方も教えてくれない先生にはなりたくない!」
「いつも鬼のような顔で、笑わない先生にはなりたくない!」
なりたくない尽くしのその気持ちが、今は私の強みに変わった。
私にとってピアノは、人生そのもの。
これからも、生徒さんたちと音楽を愛し続けることで、忘れることはないであろう「反面教師」に倍返し続けるつもりだ。
何倍になっちゃうんだろう??
ちょっと呪いめいて怖いかな~?(笑)
読者の皆様、お許しください(^^♪
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大好きな言葉です。